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翻訳コラム10若手の実務翻訳者および
実務翻訳志望者の方へ


20代で実務翻訳を志す方はとても少ない。実際、語学堪能な20代の方々の職業選択・キャリア形成において翻訳が現実的な選択肢にのぼることはほぼないだろうし、弊社も加盟している日本翻訳連盟が発表した最新の翻訳白書によれば実務翻訳者全体における20代の割合はわずか1.3%1である。

そして、そうした数字を裏付けるかのように一部の翻訳業界人(特に翻訳会社側)からは当たり前のように「しっかり社会人生活をまっとうしてから翻訳者になった方のほうが断然優秀ですよ。社会常識もありますし。大した社会人経験もなく翻訳の世界に入ってきた方は残念な方が多いです」という風な声1を聞くことが多々ある。

こうした認識については理解できる面もあるのだが、私個人はごく短いサラリーマン生活を経て23歳でフリーの翻訳者として活動を開始し、24歳の誕生日をもって専業の実務翻訳者となり20代のうちに実務翻訳者として少なくともトップ0.4%以内の実績を達成していた(詳しくはこちら)。このような自身の経歴に対する多少の自負も込めて上のような論調には「本当にそうだろうか」という思いがあったりする。

まあ、もはや私自身40代も近づいてきたところで特にそういうものに「自分ごと」として反論するという立場にはないのだが、いくつかの本邦私学に実務含む翻訳全般を取り扱う学部・学科が登場してきてもいる昨今、上記のような経験から数少ない若手の翻訳者・翻訳志望者の方々にも今以上に翻訳業界に貢献できる可能性があることを示すことができるのではとも思うのである。

そこで今回のコラムでは、このように翻訳業界でごく少数派となっている20代の若手翻訳者について(あるいは彼らについて語られていることについて)私が思うこと書いてみたいと思う。決してベテラン翻訳者の方々の能力や仕事の仕方を否定するものではないため悪しからずご理解いただきたい(笑)。

  • 1. 正確にはサンプルが同連盟会員に限られているため全体像が反映されているとは限らない。
  • 2. カッコ内は翻訳会社というよりも翻訳教育側の方から直接聞いたものであり、妥当性云々は横に置いておくとしてこちらの記事で語られている内容と合わせて典型的な見方だと考える。

■専門知識・業務経験の価値は相対的に低下している

若手とは正反対の「社会人経験豊富な壮年の実務翻訳者」の優秀さの源泉あるいは強みは何かと考えると、真っ先に挙げられるのは特定分野における専門性だろうと思う。当然、これはあって困るものではない。というよりも実際大きな大きな強みだし、そうそう一朝一夕に獲得できるものでないことは間違いない。

いきなりかなりの強敵である。

しかし社会人経験の浅い若手の立場になって考えるなら、その価値は相対的に下がっているし若手の実務翻訳者がそれを補う方法は十分に存在しているとも言える。

私はWindows 95のリリースを中学生の頃に体験した世代なのでその状況を想像することしかできないが、インターネット普及以前の時代には特定分野の「知」はある特定の「場所」や「集団」のなかに蓄積され隔離されており、そこにアクセスすることは部外者には容易ならざることだっただろう。特に実務翻訳では専門用語の取り扱いが重要になるわけだが、社会学における機能主義的観点から言えば専門用語には特定集団内でのメンバーシップを表す記号として集団の地位保全に資する機能があるため外部に出にくいという側面もある。そういう意味で、例えば多くの大手翻訳会社の経営者が若手・中堅世代だった時代にはそのような知識の価値は今よりもはるかに高かったのではないかと思うのである。

しかし、「寿司屋の修行はムダ」発言で物議を醸したホリエモンことカリスマ実業家・堀江貴文氏の言葉を借りるならば、今やワールドワイドウェブを通じて「知」は民主化され解放されている。実際、様々な業界の専門用語もたいていは「ググれば」たいてい信頼できるソースのものが一発で見つかる。そしてそれが生きた文書のなかでどのように使われているかも、今は簡単に見ることができる。安直なようだが、ともすれば限りある個人の知見に頼るよりも確実で効率的な方法だ。

具体的には堀江氏が指摘している「クックパッド」が良い例である。すなわち、かつて特定分野の飲食店を開業しようと思えば老舗で皿洗いからはじめて長い期間修行をして食材の取り扱い方法やレシピを含む色んなことを覚える必要があった。情報(ノウハウ)がそこにしかなかったからだ。しかしいまやクックパッドを開けばプロのシェフや料理研究家のレシピが見られるし動画まである。そして実際、都心でも料理人経験のない飲食店経営者の店は明らかに増えているし、成功もしているのだ。

そういう意味で、少なくとも相対的には旧来の「実務経験」の価値は低下していると言えよう。

■翻訳者の仕事は「レシピ通りに料理を作ること」に近い

さらにこの例を実務翻訳に当てはめるならば、翻訳者は「レシピを作る」わけではない。身も蓋もない言い方だが、実務翻訳者に求められているのは「何か新しいものを生み出すこと」(レシピを作る = 実践知・運用能力)ではないのだ。もちろん「著者が目標言語の話者であればそのように書いたであろう書きぶり」を追求し訳文を構成していくなかでクリエイティブな要素(後述)がないわけではないが、翻訳者の領分はあくまで起点言語で書いてある内容を忠実に目標言語に書き写すことである(決して逐語訳をせよという意味ではない)。何か新しいモノを作り出す必要はどこにもなく、原則として答えはそこ(原文)に書いてある。要するに半導体の翻訳をするからといって超高密度の新しい半導体製品の開発までできる(やったことがある)必要はないし、仮に若くて経験が少ないがために時間がかかったとしても「レシピの通り料理を作れれば」いいのである。その完成品に精度の良し悪しや上手い下手、アレンジのセンスはあるだろうから飲食店同様に淘汰は起こるが、「専門知識があるからできる」「ないからできない」という話にはならない。

では具体的にどうすれば実質的に専門知識・業務経験の差を埋めることができるだろうか。

せっかくなのでレシピの例を続けるが、「レシピ」という文物はある程度調理の知識があることが前提として書かれている。例えばフランス料理のレシピなら「ソテーする」、「シズレする」などと書いてはあっても一体「ソテー」がどういう技法で、「シズレ」がいかなる切り方なのかは書いてない。だから言葉のうわべだけではなく「ソテーって何だ」、「シズレって何だ」ってところを調べること。そこへんをしっかりとやる綿密さや几帳面さは絶対に必要である。ついでに周辺用語である「ジュリエンヌって何だ」とか、何となく目に入った「アッシェって何だ」というところまで確認する研究熱心さがあれば申し分ない。それさえできればレシピ自体は民主化されているため、わりと普通の主婦(夫)でも本格的なフランス料理を作れたりする。

それだって高い精度で広範に行なうにはかなり大変な仕事だが、若いから「できない」ということにはならない。もちろん若いだけに未熟ではあるだろうし、学ぶべき事柄もその分多いのだが、若いからには吸収力がある。吸収したものは実践知にはならないにしても形式知として蓄積され、経験値として今後の翻訳業務に生きてくる。その往復を相当時間(1万時間以上)繰り返すことで立派に「○○分野の翻訳者」と名乗ることができるようになるのだと私は考えている3

そういう意味で、常に「民主化された知」を効果的に活用し形式知として吸収していくことができる技能は翻訳業務において必要十分であるだけでなく、業務経験から獲得された(そして一般的にはこれ以上増えることも更新されることもない)実践知に勝るとも劣らない価値があると思う。

そもそも実務翻訳の世界で扱う文書は基本的に「新しいもの」、「既存でないもの」を紹介するものが多いし、時間の流れが速く実務の経験や知識など数年で陳腐化しかねない分野もある。とりわけそのような領域では新しい知識を吸収し適切にアウトプットできる能力の方がよほど重要と考えることもできる。なお、これについてはこちらのコラムで少し突っ込んで議論しているのでお時間があればお読みいただきたい。

ちなみに手前味噌的な話になってしまうが、つい先日納品した訳文についてお客様から「とても良いと思います。○○○○お詳しいのですか? まったく調整するところがありませんでした。助かりました。ありがとうございました。」というフィードバックをいただいた。こういう有難いフィードバックをいただくことは少なくないのだが、実際のところ伏せ字にしてある○○○○の部分はまったく馴染みのない分野だった。

デザイナーもプロならポップでかわいい系のデザインもきちっとやるし、カチッとした重厚感あるデザインもやる。個人的には、好き嫌いはあったとしても同じようなことが翻訳者でもプロなら当然にできてしかるべきだろうと思う。その上で得意分野に集中していくのか、汎用性を保っていくのかは事業者としての翻訳者個人の戦略次第だが。

  • 3. 当然ながら医療・医薬(なかでも治験領域)をはじめとして極めて高度かつセンシティブな分野など例外的な分野が存在することは付言しておきたい。

■社会常識の問題?

「いやいや年配の翻訳者の方が優れているのは専門知識だけじゃない」という反論もあると思う。というよりも、こういう話のなかで当然のように語られるトピックがある。

「社会常識」である。

そう、冒頭に示した「(年配の翻訳者は)社会常識もありますし。大した社会人経験もなく翻訳の世界に入ってきた方は残念な方が多いです」のくだりのあれである。

しかし、本稿執筆時点で30代後半の私個人の感覚ではこれこそ眉唾だと思っている。もっと突っ込んで言えば、あれは往々にして「同世代のほうが波長が合う」的なジェネレーションギャップの話でしかないんじゃないかとすら思っているのである。実際、翻訳会社の経営者(創業者)は団塊世代以上かその少し下ぐらいの世代の方が圧倒的に多いし、翻訳者も約8割が40代以上と言われていて、主力は50代以降というところではないだろうか。「人口の逆ピラミッド化現象」は世間よりも翻訳業界の方が圧倒的に進んでいるのだ。

さすがにある年齢層以上が8割を超えるというようなことになればその集団が共有している感覚は絶対的多数として「確からしさ」を持つだろう。世の中には「ゆとり世代」など若い世代を揶揄するような言葉が飛び交っているが、こういった言葉が示唆しているジェネレーションギャップは世間より翻訳業界の方がはるかに大きい。

しかし、そもそもデジタルネイティブに近い今の20代とバブル世代の50代前後の人々では仕事に対する価値観から仕事上のコミュニケーションの取り方までまったく違うはずだし、むしろ違っていて当たり前だ。よく言われることだが、コミュニケーションの手段ひとつとってもやはり年齢層が上がるにつれて「電話連絡」が重視される傾向がある一方、LINEのようなメッセージアプリを含む電子的コミュニケーションにはじめから慣れきっている世代はほとんど電話をしない。実際、私個人も電話をかけると相手方の業務にカットインしてしまうかたちになるし、記録も残らない(相手にいちいちメモを取らせることになる)ので電話はあまりかけない。しかし、今まで会ったことのある年配の翻訳者の方(弊社の登録翻訳者の方ではない)には「(メールで)案件を打診しておきながら電話もかけてこないとは失礼千万」といった風に憤慨するような方がいたし、そういう方はけっこういるとも聞く。

Eメールでのコミュニケーションにしても世代が上になると件名を細かく変更して送信される傾向があるが、そもそもLINEなどのインスタントメッセージに件名は存在しないし「誰からのメッセージか」の方が重要だ。ちなみに私は相手がスレッド機能を活用している場合もあるため基本的に件名は変更せずに返信する。

これはほんの一例だし、まあどちらが良い悪いという問題ではないのだが、正直、前述のような「若い翻訳者は社会常識がない」的な決めつけは、そうしたジェネレーションギャップを翻訳者としての能力云々の話にすり替えてしまっているところがなくもないような気がするのである。

敢えて言えば、若手の翻訳者が翻訳会社と仕事をしたいと思うなら「そこへんのところを理解してコミュニケーションを取った方がいいよ」ということは言えるかも知れないが。

■社会人経験が浅い翻訳者(志望者)が心掛けるとよいと思うこと

とはいえ、現実には仕事のアウトプットである翻訳の品質は年齢に比例する傾向が強い。そこで、数少ない20代の実務翻訳者(志望者)が実務翻訳の世界で確かな地歩を築き、キャリアを形成していくにはどうすればよいか、私なりに自身の経験から考えてみた。

私は、翻訳者にとって最も大切なことは異なる前提(言語など)を有する人々のために何かを伝えるための「言い換え」の能力だと思っている(しつこいようだがこれについてはこちらのコラムに詳述している)。もし若い方でそういうことに向いている自覚があって翻訳という仕事がしたいという希望があるならば、起点言語と目標言語に関する語学力と言語運用能力が優れていることは大前提として、次のようなことに取り組むといいのではないかなと思う。

  • ・ 安い単価でもどんな分野でもチャンスがあればとにかく経験を積む
    繰返しになるが、もちろん若いだけに未熟ではあるだろうし、学ぶべきこともその分多いのだが、若いからには吸収力がある。上記と矛盾するようだが、まずクラウドソーシングでもいいし安い案件でもいいのでチャンスがあればとにかく経験を積むことだ。上にも述べたが、どのみち翻訳者としてある程度の専門性を身につけるには1万時間は言語間の往復を実践する必要があると考える。極端な安物買いを志向する需要は常に存在するので、そういう顧客をある意味踏み台にして成長していくというくらいの意識でいいと思う。
  • ・ セールスポイントを確立する
    ここまで若手に対する翻訳会社側の見方にアンチテーゼを投げかけてきたとはいえ、やはり元請けである翻訳エージェントからすれば特に目立った業務経験のない若手翻訳者を起用することはコストメリットを除いて冒険でしかない。若手を起用するなら起用する側にも「根拠」が必要なのだ。言葉のセンス、スピード、向上心、即応性、何でもいいから分かりやすいセールスポイントを早く確立しその「根拠」を提示することが大切だろう。
  • ・ 語学力を過信しない
    語学力について言えば、今の20代には極めて優れた能力のある人が少なくない。しかし、こと実務翻訳を志すのであれば、やはり言葉に対する謙虚さが必要である。実務翻訳の業務で扱う内容は、間違いなく「今の自分が知らないこと」がほとんどなのだから。私は学生時代にTOEFLで今のiBTで115点前後に相当する280点(CBT。PBTでは653点)を持っていて、TOEICもたしか社会人1年目ぐらいに満点取得したが、その当時の私の英語力は実務翻訳において何の役にも立たなかったしその後実務経験を通して覚えたことが今の翻訳能力のほぼ全てだと言える。言葉の表現には限りない奥行きがあり多種多様なレジスター(使用域)が存在している。アメリカに4年住んでTOEFLで115点取ったぐらいのことではそのカケラほども理解できていなかったと思う。

いずれにせよ、前述の数字が物語っていることだが、実務翻訳業界には20代の翻訳者の居場所はあまり用意されていない。翻訳業界はいち早く高齢化が進んでいる業界なのである。そしてこの業界はけっこう古い業界でもあるし、古い翻訳会社やベテラン翻訳者はプロフェッショナルとしてそれぞれの仕事の仕方や品質に自信を持っていてそれにこだわる傾向もある。それもけっこう数が多いし声が大きい(笑)。

しかし実務翻訳の世界は良い仕事をして顧客に評価されることがすべてなのだ。そのために良い仕事ができるよう技術を磨けばいい。それさえできれば、冒頭のような発言など今どきの愛ある言葉(?)で言えば「老害」として心のなかで一蹴してしまっていい実力の世界なのである。

代表メッセージにも書いたことだが私自身は一介の実務翻訳者の時代に20代で年収2000万円を達成している。最新の翻訳白書によれば20代の実務翻訳者は1.3%、年収2000円以上の翻訳者は0.4%なので「ボトム1.3%の属性でトップ0.4%の実績」を残したことになる。ただしそれは特別なことではなく、向き不向きや能力云々の話はあるとしてもチャンスさえあれば多くの有能な若手翻訳者が十分に達成できることだと思う。

今後も有能な若手翻訳者の方々の参入に期待したい。

■翻訳業界の将来性

最後に、ひょっとしたら20代の実務翻訳業界参入を妨げているかもしれないもうひとつの要因、いわゆる「翻訳業界には未来がない(機械に取って代わられる)」論について付け加えたい。

私はこの業界の人間なので一般の方々よりは機械翻訳についての文献を多少読んでいるし学術研究の発表等にも触れていて成果物も見ている。機械翻訳のプログラムを売っている側の人々の生の声にも触れる機会がある。そのうえで、先のことは誰にも分からないので断言することはできないものの、私個人はまだまだ翻訳は人間の仕事だと思っていて「未来がない」などと実感したことはない。

そもそも、弊社で顧客からの評価が高かった翻訳物を検証すれば翻訳者が「字面の情報だけから翻訳しているのではない」ことは明かである。文章の順番から変えることがあるし、極端な場合には「著者が目標言語の話者であればそのように書いたであろう書きぶり」を達成するために原文にない一文を追加することすらある。このように原文から脱構築して等価の訳文(訳文の使用目的に照らした「効果」が等価という意味である)を再構築するという行為には人間の広範かつ複雑な思考プロセスが関わってくる。

そのプロセスは、例えば数字をはじいて分類することが主である経理・会計業務とは次元が違うし、そもそも今語られている機械翻訳は汎用人工知能ではないので、人間が言葉を紡ぐ際の極めて高度な思考プロセスを再現することはできないはずだ。

また、歴史的に「機械翻訳の能力」は日進月歩で漸進的に向上してきているが「機械翻訳に対する期待」は大きく上下動して「過信」と「失望」が繰り返されているという。従って、現在は機械翻訳の能力が過信されているフェーズにあるということも留意する必要があるだろう。

ただ、「未来がなくなる」と思ったことはないがポストエディット、プレエディットを含め業務の方法は大きく変わっていく可能性が高いとは思っている。極めて単純な例で言えば機械はauctionをactionと読み違えることはないし、sourceとsauceの違いも明確に区別する。翻訳のミスやクレームはそのほとんどがケアレスミス等のヒューマンエラーが原因であることを考えれば、個人の記憶力、注意力、経験といった属人的要素に頼らず、そうした機械の利点を捉えて有効活用して翻訳効率・品質の向上につなげることができるのも若い世代なのではないかと考える。

2019年10月 谷口(代表)