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翻訳コラム04ローカリゼーションおよび
翻訳メモリ環境における
翻訳者の役割
今回のコラムはやや専門家向け、堅めの内容です。産業翻訳の世界で広く活用されているテクノロジー「翻訳メモリ」の問題点と実際的な対処方法、および翻訳者の役割について書いています。専門用語もありますがご了承ください。ご興味のあるかたはぜひ。
0. はじめに
本稿は、ローカリゼーションおよび翻訳メモリ使用環境における翻訳者の社会的役割について考察するものである。流れとしては、ローカリゼーションおよび翻訳メモリの背景について概括したのち、翻訳メモリの使用に伴う問題点と解決策について検討し、その議論を踏まえた上で翻訳メモリ環境における翻訳者の役割について論じる。
1. 産業翻訳における翻訳メモリ使用の背景
翻訳資産(過去の訳文)の共有・再利用によってもたらされる高い効率性・統一性といった特質から、翻訳メモリはIT・コンピュータ、ソフトウェアローカライズ、製品マニュアルなどの分野で広く使用されている。産業翻訳の世界のなかでもとりわけこうした特定分野については、もはや翻訳メモリなくして翻訳ワークフローは成り立たなくなっているといって過言ではない。翻訳者求人募集広告にも「Trados使用経験必須」といった翻訳メモリ関係の要件が並んでいることからも、実際の翻訳現場におけるその普及度・要求度の高さが見て取れよう。
しかし一方では、翻訳メモリの使用がもたらす訳文への影響についての議論も多く行われている。特に、翻訳メモリは個別セグメントに重点を置いたボトムアップ式の翻訳アプローチへの回帰につながり、文章全体への視座が失われるという指摘がなされている(Garcia, 2009; Mossop, 2006; Benito, 2009)。
山田(2008)は「訳文の「再利用」を基底にした翻訳メモリを使用して行う翻訳では、データベースに登録されている既存訳と新規で翻訳される訳語とが影響し合うので、普通の翻訳では見られない特有の現象が起きる」(p. 192)と述べている。また、翻訳会社を母体とした翻訳学校であるMRI語学教育センター(2010)は実務翻訳者向けリーフレットのなかで、翻訳メモリを使用した翻訳を「翻訳支援ツールを使用した効率の高い翻訳(ローカライズ翻訳)」、従来のワープロベースの翻訳を「従来型の手作業で行う高品質な翻訳(トラディショナル翻訳)」と表現しているが、このような分類は、翻訳メモリを使用した翻訳は効率性に優れているものの従来型の翻訳と比較した場合にTTの品質という観点では劣っているということを暗に示していると言えよう。実践の世界でも翻訳メモリを使用した翻訳の問題点については少なからず認識されているのである。
しかし前述のように、現在の産業翻訳の状況を考えれば、(特にローカリゼーションの分野においては)翻訳メモリを使用しないワークフローは現実的ではない。したがって、翻訳メモリの効率性を生かしつつ従来型翻訳を行った場合に得られる品質レベルを維持できるような翻訳メモリの活用方法を検討する必要があると思われる。
2. 翻訳メモリ使用時の問題点
翻訳メモリとは、原文と訳文をペアとしてデータベース化し、これまでの翻訳作業を効果的に再利用することを目的とした翻訳支援ツールである。中でも現在世界中で最も高いシェアを占めているといわれている翻訳メモリソフトウェアはSDL Tradosであるが、そのほかにもIdiom、WordFastなど多くの翻訳メモリソフトウェアが存在している。訳文と原文を上下に対置するか、左右に並列するかという違いはあるものの、原文の文章を一定の塊に区切り訳文とペアでデータベース化するという仕組みにおいてこれら翻訳メモリソフトウェアは共通している。
この区切り(分節)は翻訳者による介入(分節の拡大・縮小)がない限りパンクチュエーションを基準として行われるため、ほとんどの場合はひとつのSTセンテンスにひとつのTTセンテンスという一対一の対応となっている。そして、この原文と訳文のペア(既存訳)が新たに翻訳しようとする文章と完全に一致、あるいは高い割合で一致(50%以上から設定可能)している場合には、再利用のために既存訳がインターフェース上に提示される。
以下、こうした翻訳メモリの仕組みから引き起こされる問題について、主に内田(2009)の研究に沿って翻訳作業における課題と編集作業における課題に分けて概観する。
2.1 翻訳作業における問題点
第一に、結束性の観点から、翻訳メモリにおける訳文は基本的に一対一の分節各位において完結することから、文章の自然な流れがさえぎられる、すなわち文脈対応に問題があるという点が指摘されている(内田,2009)。
この点は比較的自明のことであるが、問題の原因がこれだけであれば対策も取りやすい。なぜなら、仮にすべての分節が一対一対応で翻訳されるとしても、一貫して一人の翻訳者が文頭から翻訳する場合には訳文のなかで適宜調整も可能であろうし、従来の翻訳であっても翻訳者によっては一対一対応という手法を取ることがあるからである。
しかしながら翻訳メモリには過去の訳文が再利用されるという特徴があり、多くの場合には別の翻訳者がその訳文を使用することも視野に入れられている。したがって、翻訳者は他の翻訳者による後の再利用を想定してコンテキストに依存しない訳文をつくることを意識していると考えられるのである。おそらくは翻訳メモリを使用した訳文に深刻な問題を生じさせているのは、こうした訳文の再利用によるTTの結束性(cohesion)への影響であろう。
すなわち、翻訳メモリを使用しない従来型の翻訳ではTTの結束性確保のために接続詞を加えるなどの加訳、代名詞・主語の省略あるいは具体的な名称への置き換えが頻繁に見られるが、翻訳メモリ使用時には、そうした加訳・減訳は当該分節の再利用時に適切とは限らないため、行われない傾向にあるのである。その結果、翻訳メモリを使用したTTは脱コンテキスト化することとなり、必然的に、脱コンテキスト化した分節が集合した文章には文と文のつながりがなく、結束性が弱まるという結果が導かれる。
具体的には、翻訳メモリを使用して作成された訳文では、「~する」といった同一語尾や同一主語の繰り返し(日本語においては結束性を損ねる場合が多い)など、自然な日本語(翻訳語ではない日本語)では行われないような現象が頻出する傾向にある。
また、再利用性を前提としているために単語レベルでの対応も意識される傾向が強いと思われる。既存訳がファジーマッチとして提示された場合のことを考慮すれば、既存訳は基本的に逐次対応(word-for-word)の訳文であったほうが、再利用が容易になるからである。
加えて内田は、100%マッチの訳文は時間的制約のある場合にはほぼレビューされずに見過ごされる場合が多いと述べている。Pym(2007)はその要因としてリスクと報酬のバランスや既存訳に付与された権威の問題を挙げているが、いずれにせよこのことは誤訳温存の原因となる。また、翻訳メモリを通して共有されるのは一部の主要な用語やファジーマッチからの新規訳作成の際の文体に限られるため、複数の翻訳者がTMを利用する場合には、個々の翻訳者のスタイルや用法の混合は不可避である。そして、この「ゆらぎ」もまた再利用によって温存されていくことになる。
このように、一対一対応の仕組み、再利用性という、翻訳メモリの優れた効率性に寄与している特徴そのものが同時に問題の原因ともなっていると考えることができる。
2.2 編集作業における問題点
また、一次訳の編集(QA、レビュー)の際には、必然的にメモリの影響下で作業が行われることになり、したがって編集段階でも一対一分節の影響を受けることになる(内田,2009)。
これは、通常、翻訳メモリ使用を指示された案件では翻訳メモリそのもの、または訳文と原文の両方を含んだ「バイリンガルファイル」のいずれかをクライアントに納品することが求められるため、編集内容が翻訳メモリに同期されなければならない、あるいは編集済みのバイリンガルファイルが生成可能でなければならない(タグを損なってはならない)ためである。つまり、仮に翻訳メモリが意識されない設定で編集作業を行った場合(翻訳メモリによっては可能である)にも、そうした編集内容をメモリに一括同期することで、クライアント資産として権威づけられた既存訳への変更を意図せずに行ってしまう可能性があり、問題となることが考えられる。加えて、翻訳メモリ環境外で編集した場合には必ずしもテクストが原文に対して一対一対応にはならないことが予想され、タグの削除によって同期化ができなくなるなど技術的な問題を招く恐れもある。さらに、ツールの仕様上、完全に新規で訳された文章と既存訳を下地として訳された文章との区別ができないため、訳文の扱いが複雑になっている。
以上のことから内田は、翻訳メモリ環境は編集環境として非効率であると述べている。
3. 解決策の検討と考察
3.1 スタイルガイドの導入による対応の可能性
これまで述べてきた内田の研究においては、文脈対応への配慮を動機づけるための対策としてスタイルガイドの例が挙げられているが、「ローカライズ翻訳」の看板を掲げている翻訳会社の多くはすでにスタイルガイドを導入している。筆者自身が業務上支給されたスタイルガイドの中には数十ページに上る広範なものから、1ページで完結しているシンプルなものまで多岐にわたるが、いずれにしても訳文のスタイルは業界全体で統一されているわけではないため、翻訳作業の煩雑化・非効率化を招く恐れがある。
IT分野に限っては業界標準のスタイルガイド策定の動きが存在しているが、現時点では実現の目処が立っていない。
3.2 分節の拡大・縮小による対応の可能性
少なくとも一対一対応によって生じる問題については、適宜分節の拡大・縮小を行うことである程度解決できるように思われる。特に同じ主語が繰り返された文章が続いている場合には、両者を接続詞でつないで一文として扱ったほうが日本語として自然に感じられることがあるため、これは翻訳者にとっては非常に重要な選択肢(機能)である。
しかしながら、これも翻訳者の一存ではできないとされることが多い(Pym, 2007, 内田, 2009)。上記のように文章の結束性・一貫性を保つためにセンテンスAとセンテンスBを結合することが好ましい場合でも、翻訳者のリスク回避という観点から言えば、すでにセンテンスA単独に対して100%マッチあるいは率の高いファジーマッチの既存訳が存在している場合は、センテンスA+Bをひとつの分節として訳出するよりもセンテンスAを一文として既存訳に従わせるという選択が無難であるし、他の翻訳者の混乱も招きにくい。
また、翻訳メモリの最大の利点のひとつは訳文の再利用であるが、翻訳メモリはパンクチュエーション区切りで再利用率を計算するため、分節を拡大した場合には再利用率が低下する可能性がある(ただし、これはあくまでコンピュータによる計算上の話である。実際には単に再度分節の拡張をすればよいだけの場合がほとんどである)。
いずれにせよ、分節の拡張・縮小による対応はあくまで対症療法的(その場かぎり)なものであり、やはり再利用時のコンテキストにおいて必ずしも合致するとは言えない。したがって、議論されているような翻訳メモリ特有の問題を解決するための根本的な方法とはなりえない。
また、文脈対応の問題については一体複数ペアでメモリ登録を行いペナルティの重みづけによって人的介入を要請することによる解決の可能性が提示されているが、これもクライアント資産である翻訳メモリへの介入になるため、翻訳者の一存では難しいとされている(内田,2009)。
3.3 翻訳メモリを切り離した編集作業
現場感覚としては、翻訳メモリを使用する場合に翻訳者に対して文脈対応への配慮を要請することは、一般的な料金体系(100%マッチの分節への支払い率は新規訳の5分の1程度)と納期設定に鑑みても現実的ではない。また、翻訳メモリの最大の利点である効率性を決定的に損ねる結果になりかねない。
したがって、筆者が現場で抱いている感覚としては、TTの結束性という観点から高いレベルを要求するのであれば翻訳メモリによる訳文はあくまで仮訳として、編集作業の内容を翻訳メモリに反映させることは想定しないという対応が現実的ではないかと感じている。仮訳に対する編集作業はエージェントまたはクライアント側の別の編集者・校閲者が翻訳メモリの環境外で行うものと考えるのが、少なくとも現状においては相対的に適切な翻訳メモリの活用方法であろうし、実際にそのように行われていることが多いのではないだろうか。
4. 翻訳者の役割
いずれにせよ、翻訳メモリの仕組み上、質の高いTTの結束性を確保するためには、一次訳から編集までのすべての工程を翻訳メモリ環境で行おうとすることは少々要求が高すぎる。現状については、翻訳メモリ翻訳と編集作業は別個の作業として分業させる、つまり編集作業は生成済み訳文を用いて専門のレビュアーが行うのが現実的であろうし、実際、Pym(2006)が指摘するように特にローカリゼーション分野における翻訳は全体のローカライズプロセスの一部であり、翻訳者の翻訳成果物は完成品ではないと認識されている。
従って、特に翻訳メモリの特性・利点を最大限に活かせる複数翻訳者でのローカライズ翻訳を想定した場合には、翻訳メモリ環境における翻訳者の役割は「ポストエディットを大前提とした一次訳の産出者」と考えられ、必然的に翻訳方略の選択などにおいて多くの権限を付与されない存在でもある。
このように、編集者や制作者の関与はあるものの基本的には翻訳者の持ち分において翻訳作業の大部分が完了する文芸翻訳や映画字幕翻訳と、ローカラリゼーションにおける翻訳者の役割とは大きく様相が違うと言える(ただし、場合によっては文芸・字幕でも後編集の影響が非常に強い場合がある)。いわんや、「今この場所で」パフォーマンスが要求される通訳者のそれとは決定的に異なっているであろう。
ローカリゼーションという分野、特に翻訳メモリ環境での翻訳作業に限って言えば単に単語や数字を置き換えるだけ、というようなジョブが希に存在しているのも事実であり(こうしたジョブのほうが時給換算では効率的であるということも、また事実であるが)、翻訳コスト削減という経済的目的のために商用化された翻訳メモリの歴史的背景(Benito, 2009)を考えれば、これは当然とも言える帰結であろう。
5. 結論
産業分野における言語間翻訳は、インターネットやコンピュータテクノロジーなど情報技術の発展が人間社会にもたらした影響を最も如実に表している分野と言えよう。Ignacio Gracia(2009)は技術的発展が特に産業翻訳にもたらした重要な影響について次のように述べている。
The digital age has affected all professions, but change has been felt by translators more keenly than most. Like the rest of the ‘knowledge sector,’ translators are obliged to work on computer screens and do their research using the web. Unlike their colleagues however, they have been propagating this new work environment and fomenting change precisely by their role in translating it. The most significant tool used until now by translators in the digital work environment is Translation Memory software, or TM. By putting the developments of the last 20 years in historical perspective and with particular attention to events over the last two, this article argues that TM is reaching its use-by date. It also examines the strong re-emergence of Machine Translation (MT) in response to TM's inability to cope with the increasing translating needs of today’s digital age. (p. 199)
ビジネスの急速な国際化や産業形態の変化といった要因から、今日では、かつてないほどに異言語の人々とのコミュニケーションの必要性が意識されている。Pym(2006)はグローバリゼーションを「翻訳の社会的役割について重大な影響をもたらす経済的プロセス」と定義しているが、そうしたグローバリゼーションの結果、翻訳作業効率化を求めて90年代に翻訳メモリが導入され、昨今では機械翻訳が実用化されはじめている。
その中で翻訳者の役割もまた変容しつづけているのである。例えば、機械翻訳環境においては翻訳者(この呼称がふさわしくなくなる可能性はあるが)の役割はトランスレーターよりもむしろエディターとなるであろう。
Brian Mossop(2006)はローカリゼーションについて論じる中で、翻訳は大きなビジネスになりつつあり、伝統的な家内工業であった個々の翻訳者のあり方は今後ますます変容するであろうと述べている。特にローカリゼーションはすでに翻訳ビジネスの新たな分野として地位を獲得しており、言うなればこれまでの「翻訳」とは異なる新しい行為として「ローカリゼーション翻訳」という行為が出現しているといっても過言ではない。その中には、当然ながら「ローカリゼーション翻訳者」という新たな「身分」と「役割」が存在しているのである。
今後機械翻訳の導入が進んでゆけば、翻訳者の役割はポストエディターのそれに取って代わられるだろう。その中で、産業翻訳者あるいは実務翻訳者と呼ばれる翻訳者たちは、完全なヒューマントランスレーターとしての道を選ぶか、翻訳メモリなどのコンピュータ支援技術を活用するか、あるいは機械翻訳のポストエディターとなるか、その選択が迫られている。(文:谷口翔平)
参考文献
Benito, D. (2009) Future trends in translation memory. Retrieved December 10, 2010, from http://webs2002.uab.es/tradumatica/revista/num7/articles/07/07.pdf
Garcia, I. (2009). Beyond translation memory: Computers and the professional translator. The journal of specialised translation, 12, 199-214.
Gow, F. (2003). Metrics for evaluating translation memory software. Ottawa: Francie Gow.
Halliday, M. A. K., & Hasan, R. (1976). Cohesion in English. London: Longman.
庵功雄(2007).「日本語におけるテキストの結束性の研究」くろしお出版.
MRI語学教育センター(2010).「ローカライズ翻訳通学講座案内:翻訳支援ツールの基本操作および実践技術」MRI語学教育センター.
Mossop, B. (2006). Has computerization changed translation?. Meta 36, 787-805.
Pym, A. (2006). What localization models can learn from translation theory. Retrieved December 10 , 2010, from http://www.tinet.cat/~apym/on-line/translation/localization_translation_theory.pdf
Pym, A (2007). On Toury’s laws of how translators translate. Retrieved July 25, 2010, from http://www.tinet.cat/~apym/on-line/translation/2007_toury_laws.pdf
ピム, A.(2010).『翻訳理論の探求』(武田珂代子・訳).みすず書房.[原著:Pym, A. (2010). Exploring Translation Theories. New York: Routledge].
内田順子(2009).「翻訳メモリツールの使用時に訳文の文脈対応が失われていく傾向についての考察」『通訳翻訳研究』第9号(2009年),273-285頁.日本通訳翻訳学会.
山田優(2008).「翻訳メモリ使用時の既存訳が新規訳に及ぼす影響:干渉と翻訳の普遍的特性の観点から」『通訳翻訳研究』第8号(2008年),191-207頁.日本通訳翻訳学会.
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